パリ編 vol.4 ── ヴェルサイユが教えてくれた帰る場所
朝9時にヴェルサイユ宮殿を予約していたので、
朝から丸一日ヴェルサイユへ。
1日で3万歩歩きました。
そして、
この旅でいちばん考えさせられた一日になりました。
朝、思いがけず出会った最高のクロワッサン
朝に行こうと思っていたパン屋さんが閉まっていました。
仕方なく、
その場でパッと目に入った別のパン屋さんに入ってクロワッサンを買ったのですが、
今までで一番美味しいクロワッサンに出会いました。
もうそこのパン屋さんに毎朝通おうかな、と思うくらい。
そこから電車を乗り継いだのですが、
途中で電車が20分ほど止まってしまい、到着は9時45分頃。
予約時間を過ぎてしまいましたが、
なんとか無事に入れてもらえました。
ヴェルサイユは、順番に見ると物語になる
ヴェルサイユは、本当に広大でした。
宮殿から庭園、
グラン・トリアノン、プチ・トリアノン、王妃の村里まで全て見て、
なんだかんだ7〜8時間くらいいたと思います。
ホテルに戻ってきたのは夕方17時半頃でした。
でも、全て行ってよかった。
正直、宮殿だけだったら、
ただ豪華絢爛で、絶対王政を極めたルイ14世の功績ですね、
という感じで終わっていたと思うのです。
でも、その先まで歩いたことで、
全体がひとつのストーリーとして見えてきました。
第1幕 宮殿 ── 権力を可視化した場所
まず、宮殿です。
ルイ14世が宮廷ごとここへ移し、
絶対王政の頂点を築いた場所。
鏡の回廊も、豪華な装飾も、
すべてが王の権力を見せるために設計されています。
ここでは、王の起床から就寝までが儀式でした。
つまり宮殿とは、
王が王であることを演じ続ける舞台だったわけです。
第2幕 グラン・トリアノン ── 王が儀式から逃避した場所
そして、庭園の奥へ歩いていくと、
グラン・トリアノンがあります。
ここを建てさせたのは、
他ならぬルイ14世本人です。
つまり、あれほど豪華絢爛な宮殿を極めた人が、
その宮殿から離れて過ごすための場所を、
わざわざ別に作っていた。
宮廷の儀式や視線から離れて、
ただ一人の人間として過ごす時間が必要だった、ということです。
第3幕 プチ・トリアノン ── マリー・アントワネットの自分の空間
さらに奥へ進むと、
プチ・トリアノンがあります。
もともとルイ15世が建てたものですが、
後にルイ16世からマリー・アントワネットに贈られました。
ここは彼女が、招く人も過ごし方も自分で決められた場所。
王妃としてではなく、一人の人間として過ごせる空間でした。
第4幕 王妃の村里 ── 農村にたどり着いた王妃
そして、
いちばん奥にあるのが王妃の村里(Hameau de la Reine)です。
これが、私にはいちばん衝撃的でした。
農家の家、水車、池、
そして実際に家畜がいて農作物が育てられていた。
まるで、大草原の小さな家のようです。
フランス王妃という、
当時の世界で最も豪華な生活を送っていたはずの人が、
最終的にたどり着いた場所が、農村を模した空間だったとは。
誰もが「自分が自分でいられる場所」に帰る
宮殿 → グラン・トリアノン → プチ・トリアノン → 村里。
奥へ歩けば歩くほど、
豪華さは減っていき、素朴になっていく。
そして同時に、その人自身に近づいていく。
この順番で歩いたことで、
気づかされたことがありました。
ルイ14世のように王政と豪華絢爛を極めた人であっても、
自分の生活を送るプライベートな場所が必要だった。
マリー・アントワネットにしても、
最後には豪華絢爛な世界から離れて、
農村のような、自分が自分でいられる場所を求めた。
あれほどの地位と権力を持った人でさえそうなのだから、
現代の人も、私も、そうなのかもしれない。
そういえば、
昨日まで一緒だったコルシカ島の友人も、
すごいキャリアを持っている人なのに、
最終的には自分の故郷に帰って、
オリーブやイチジクを育てる暮らしをしています。
みんな、
自分が自分でいられる場所に帰るんだな。
私も、
自分の原点みたいなところに、
いずれ帰りたくなるのかもしれない。
歴史がヒントをくれたような気がした一日でした。
大運河で鳥にパンをあげる
散々歩き回ったあと、
ずっと探し求めていたアイスコーヒーに
ようやく出会うことができました。
念願のバゲットも買って、
大運河のそばでゆっくり食べたのですが、
本当に気持ちよかった。
ぼーっとして、バゲットを食べていたら、
白鳥やカモが寄ってきました。
そのとき、
私は怖くて逃げようとしてしまったのです。
そうしたら、
近くにいたフランス人が、
自分の持っていたランチの残りをあげてうまく誘導しながら、
鳥が近づいてくるのを一緒に楽しんでいる。
それを見て、はっとしました。
私は、どこか鳥に餌をあげるのはいけないことだと思っていた。
餌付けは、鳥本来の生存本能を奪ってしまう、と。
でも、
動物と自然に分かち合っている人たちを見ていると、
自分でも気づかないうちに固定概念があったな、と思いました。
自分の中のルールを一旦脇に置いてみること。
これって、
旅の最中だからこそできることかもしれない。
最後に、
自分に残ったパンを少しだけあげてみました。
まあいっか、と思って。
日本だったら絶対にしないけれど、
鳥と食べ物をシェアする、
そういうのもいいなと思いました。
「住む」と「旅する」の違いは何だろう
今回の旅を通して、
私はいつかフランスに住みたいなと感じていました。
でも、それは、旅の一時だからそう思うだけかもしれない。
限られた期間だからこそ、
フランスの良いところばかり見えているのかもしれない。
住むとなると、また別の話です。
私は日本人で日本に住んでいるからこそ、
日本の良さが見えにくいところがある。
日本の生活が当たり前になりすぎて、
いいところが見えなくなっているのかもしれない。
でも逆に言えば、
私には日本という帰る場所があるから、
今フランスにいる限られた時間を楽しめる。
もし、帰る場所がなかったら、
たとえばフランスに永久に住むとなったら、
きっとフランスの嫌なところも見えてくるのだろうと思います。
生活と旅の違いって、何なんだろう。
日常と非日常の違いって、何なんだろう。
帰りの電車の中で、
そんなことを考えていました。
私のルートは日本。でも、日本だけには留まりたくない
私のルーツは、間違いなく日本です。
日本人だし、家も家族も日本にある。
でも、日本だけには留まりたくない。
月に一度くらいは海外に行きたいし、海外に住みたいとも思う。
でも、おそらくこれは、移住や永住ではないのだと思います。
永住は、さっき書いたように違う意味のストレスが生まれます。
だから、限られた時間というスタイルが、たぶん向いている。
なぜ海外にいると呼吸が楽にできるのか
では、
なぜフランスが好きなのか、
なぜ海外が好きなのか、を考えてみました。
私なりの答えは、
海外にいる方が、自分が自由になれるから。
海外では、自分の好きに生きている人が多い気がします。
日本は、みんなどこか周りの目を気にする文化がある。
だから、日本にいると、
周りの目やルールやマナーに自分を当てはめないといけない気がして、
どこか窮屈に感じてしまう。
特に、私は普通の日本人より少し感覚がずれているところがあるので、
日本では縮こまって、周りに合わせて、
自分を出せないという堅苦しさを感じているのだと思います。
でも海外だと、みんな周りをあまり気にしていない。
自分の感じたように振る舞っている。
そういう人が周りにいると、自分も安心するというか、
ああ、自由に生きていいんだ、という安心感がある。
それが、生きやすさとして感じられるのだと思います。
熱中症寸前、ライムバジルのアイス
その後、ホテルまで戻ってきました。
今日のパリは37度と暑くて、
おまけにずっと歩き通しだったこともあり、
少し熱中症っぽくなっていました。
もう遠出する元気もなく、
夜はホテルのすぐ隣にあるガレット屋さんへ。
その後、少し歩いたところにあるアイス屋さんへ。
そこではフレーバーを3つまで選べたので、
塩キャラメルとピスタチオ、少し甘めの組み合わせだったので、
一つはさっぱり系にしようとライムバジルを選びました。
そうしたら、
このライムバジルが思いのほか美味しくて!
バジルがしっかり効いていて、初めて食べる味。
フランスならではのセンスだなと感動しました。
この日、いちばん残ったこと
朝から晩まで歩き通しの一日でした。
でも、宮殿の豪華さよりも、
その奥にあった小さな村里のほうが心に残っている。
たぶんそれが、今の私に必要なヒントの1つだったのだと思います。
明日は久しぶりにゆったり過ごせる日なので、
朝までゆっくり寝ようと思います。
