エピローグ ── 帰ってきて、思うこと
無事に羽田に到着して、家まで帰ってきました。
3週間の旅に出る前は、今までにないくらい不安でした。
でも、なんとか無事に乗り越えることができました。
やり遂げたことが、自信になった
これだけ長い旅をやり遂げられたこと。
もちろん、たくさんの人の力を借りたおかげです。
パリの夜に階段でスーツケースを運んでくれた親子も、
鳥の糞をかけられた私にナプキンをくれたカフェのスタッフも、
ATMの使い方を教えてくれたおばさんも、
最終日、メトロの階段を一緒に上ってくれたおじいちゃんも。
一人でやり切ったわけでは、まったくありません。
でも、それでも。
出発前に「本当に乗り切れるのか」と思っていた自分が、
ちゃんと帰ってきた。
これは、自信になります。
同時に、自分の課題も見つかった
でも同時に、自分の課題もはっきり見つかりました。
ひとつは、英語
英語が全然話せなくて、
「自分は今まで何をやってきたんだろう」という気持ちになりました。
特にアムステルダムで、
多言語を操る友人の隣に立った日は本当にきつかった。
ただ、旅を終えて振り返ると、これは能力がないという話ではなく、
「使う場面が足りていなかった」という話なのだと思います。
一人でホテルのスタッフと話す時は、ちゃんと通じていました。
崩れたのは、尊敬している人の前で、疲れ切っていた時。
つまり、技術と同じくらい、場数と度胸の問題でもある。
やっぱり旅は、自分の幅を広げる
改めて気づかされたのは、
旅は自分の幅を広げる重要なものだということです。
3週間の中で、私は自分についていくつも発見しました。
- 美術館より、図書館のほうが心が落ち着く
- 豪華なディナーより、公園のバゲットが記憶に残る
- 人といると消耗する。だから、ひとりの時間を最初から確保する
- 海外にいるほうが、呼吸が楽になる
- 静かな場所と自然を、以前より求めるようになった
これは、日本で日常を送っていたら、たぶん気づけなかったことです。
自分を表現するということ
そして、自分を表現するのは大事だなと思いました。
同行した友人の表現力を見ていても、そう思います。
彼女は、話しかける。現地の言葉を使ってみる。
間違ってもいいから、反応する。
それだけで、旅の質がまるで変わっていました。
私は、嫌だ、面倒だと思ったら無視して通り過ぎるタイプでした。
それも自分を守るためには必要なのだけれど、
その分、受け取れたはずのものを取り逃がしていたのだと思います。
これから、どうやって自分の表現力と英語力を磨いていこう。
それが、今の課題です。
旅から帰ってきて課題が2つ見つかったというのは、
悪い成果ではないと思っています。
お金と経験の話
あと、ふと思ったのですが。
今回の旅では、たぶん100万円くらい使っています。
でも意外と、100万円がなくなったところで、
そんなにどうということはないんだな、と思いました。
それに比べて、得た経験のほうが全然大きい。
だから、お金のために旅を我慢するよりも、
お金を使って経験を得たほうが、ずっと貴重だと思いました。
準備編で、私はこう書いていました。
あくまで、節約というよりは、無価値な出費を防ぐための持参品です。
その代わり、パリのビストロ、現地の伝統料理、カフェなどには、きちんとお金を使う。
出発前の自分は、その線引きをかなり慎重に考えていました。
帰ってきた今は、もう少し大胆でよかったな、と思っています。
削るべきは無価値な出費であって、経験そのものではありません。
この旅が、私に残したもの
出発の日、アブダビへ向かう機内で、
「この旅を通じて、自分に許可を出すことを学びたい」と書きました。
3週間かけて学んだのは、たぶんこういうことです。
疲れていても、行ってみていい。
しんどければ、ひとりになりたいと言っていい。
お金は、経験のために使っていい。
間違ってもいいから、話しかけていい。
どれも、誰かに許可をもらう必要のないことばかりです。
3週間かけて、そのうちのいくつかは、できるようになりました。
残りは、これからの課題です。
10月から、新しい仕事が始まります。
でも、「仕事だけの人生じゃない」とわかった今、
私の人生における仕事の配分が変わると思います。
豪華さを極めた王が最後に農村を作ったことも、
絶大な権力者が護符のシャツを着ていたことも、
輝かしいキャリアを持つ人が地元でオリーブを育てていることも。
きっと忙しくなったら忘れるので、こうして書き残しておきます。
では、また次の旅まで!
(アブダビ編・パリ編・コルシカ編・アムステルダム編・トルコ編は、それぞれの記事にまとめています)
