焦りのなかの決断

焦りのなかの決断

視野がもっとも狭かった時期の私に、大きな決断を任せてしまった話


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4月の鬱

今年の4月、私は心の調子を大きく崩した。

朝、目は覚めるのに、身体も頭も重い。今日一日を生きる希望も楽しみもない。なんのために生きているかわからない。何かを考えようとしても、集中力が続かないし、すぐ疲れてしまう。そんな日が続いた。病院に行ったら、抑うつ症状の診断が出た。

そこからの数か月は、ボロボロの状態だったが、ほとんど走り続けていたと思う。そんな状態のときに転職活動を始め、落ちて、また出して、また落ちた。6月の終わりにようやく一つ決まって、今度からその会社で働くことになった。


道が1本しかないように見えた

半年近く経った今、あのころの自分を思い返して驚くのは、完全なる視野狭窄。視野の狭さ。選択肢の少なさ。

目の前に道が1本しかないように見えていた。実際にはもっとあったはずなのに、そのときの私にはどうしても他が見えなかった。

焦っていた理由は、30代後半という年齢。ここを逃せば、さらに転職は難しくなる、一刻も早く動かないと、決めないと、という声。遅くなればなるほど不利になるという恐れと不安が、頭の中から片時も離れなかった。


会社の名前を外したとき

もうひとつ、家業に入ってから、組織の規模が一気に小さくなったことがあった。

前職のJICAという看板を外した瞬間に、自分の価値まで一緒に外れていった気がした。自分の存在そのものが小さくなったように感じていた。

でも、今ならわかる。私は会社と自分の価値を、長い間結びつけて生きてきた。組織のなかで活躍していることが、そのまま私の存在証明になっていた。

働くこと以外にも自分の価値があるという発想が、あのころの私にはまるでなかった。


狭さには、気づけない

視野が狭くなっているとき、人はその狭さに気づけない。

狭い視野のなかで、それでも合理的に考えているつもりでいる。判断しているつもりで、実際には追い立てられているだけだったりする。だから危ないのだと思う。

不安なとき、焦っているとき、期限が迫っているとき。そういうときに、大きな決断をしない。仕事も、住む場所も、おそらく結婚もそうなのかもしれない。現に、半年経てば、考えは驚くほど変わっているから。


新たな価値観

今の私は、自由な時間、大切な人と過ごす時間、行きたいときに旅に出られる生活。こういうライフスタイルの方が、よっぽど大切だったんだということに気づいている。

その生活を手放す決断を、1番視野の狭かった時期の私に任せてしまった。

それでも、この数か月がなかったことにはできない。次に同じ場面に直面したときの私が、ほんの少しだけ立ち止まれるように、ここに残しておきたい。

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