アムステルダム編 vol.3 ── 水で守る要塞と人の繋がり
アムステルダム3日目。
今日は、友人の知り合いの香港出身のおじちゃんが、
1日アテンドしてくれるということで、11時に迎えに来てくれました。
星形の要塞都市を見て、素晴らしい建築プロジェクトを見て、
たくさんの人に会わせてもらった、密度の濃い一日でした。
そして同時に、
この旅で最も自分の至らなさを突きつけられた一日でもありました。
ナールデン要塞 ── 星形の城壁
まず連れて行ってもらったのが、
星型の形をしたナールデン要塞都市(Naarden-Vesting)。
成り立ちを調べてみたら、
この街は、綺麗な星形の城壁都市というだけではありません。
水で敵を止める、という発想
ナールデンでは、周囲の土地を意図的に冠水させて敵軍の進撃を止める
「インウンダツィー(inundatie=軍事的浸水)」が、
防衛システムの重要な部分でした。
ただし、街そのものを洪水にしたというより、
街を乾いた要塞として残し、その周囲を浅い湖のようにする仕組みです。
きっかけは、1672年の惨敗
決定的だったのは、
オランダ史で災厄の年(Rampjaar)と呼ばれる1672年です。
ルイ14世率いるフランス軍がネーデルラント連邦共和国へ侵攻し、
当時防備が荒廃していたナールデンは、
ほとんど抵抗できず占領されてしまいます。
一方、オランダ側はアムステルダムなど西部の主要都市を守るため、
低地を水没させる旧ホラント水線(Oude Hollandse Waterlinie)を
急いで機能させました。
MuidenやWeespなどから南へ続く広大な低地に水を入れたことで、
フランス軍の西進を阻止することに成功します。
ナールデン自体はすでに取られていましたが、
Muiden方面では水線が機能し、
フランス軍はそれ以上進めませんでした。
1673年9月、ウィレム3世がナールデンをフランス軍から奪還します。
次はナールデンを水線の要にする
奪還後、ウィレム3世のもとで、
ナールデンの要塞は徹底的に造り直されました。
現在見られる特徴的な六角形に近い星形要塞、
6つの稜堡(bastion)、二重の堀や外郭は、
この1673〜1685年ごろの大改造を基本としています。
ここで問題になったのが、地形でした。
水線の基本戦術は、低い農地 → 水を入れる → 敵が通れなくなるというもの。
水深は、船で航行できるほど深くする必要はありません。
むしろ兵士が歩けず、馬や大砲・荷車も動かせない程度の浅い水面を、
広範囲につくるのが有効でした。
ところがナールデンは、Het Gooi(ホーイ地方)の
比較的高い砂地の端に位置しています。
そのままでは水を入れても、
ナールデン周辺に乾いた通路が残ってしまい、
敵軍が水線を迂回できてしまう。
これは水線全体にとって大きな弱点でした。
驚くべき解決策 ──「土地そのものを削る」
そこで1675年、大胆な工事が決められます。
ナールデンの周囲にある高い砂地を削り、人工的に標高を下げたのです。
つまり、
高い土地 → 掘り下げる → 水が入る高さにする → 戦争時には冠水させる
という発想です。
その結果、要塞の周囲は水路の走る低地へと変えられました。
地形改変は大規模で、新しい海岸堤防まで必要になり、
1676年にはOostdijkが築かれています。
星形要塞+堀+周囲の人工的に低くした土地+水門・堤防+冠水地域が一体となって、
ひとつの巨大な防御施設になっていたのです。
Hollandへの鍵
さらに重要なのは、
ナールデンが東からアムステルダムへ向かうルート上の、
狭い通行可能地を押さえていたことです。
北には当時のZuiderzee(ゾイデル海)、
南西にはVecht地方の湿地があり、
その間の通路をナールデンが塞いでいました。
このため、Hollandへの鍵(sleutel van Holland)とも
位置づけられる重要地点でした。
19世紀になると、この考え方は
Nieuwe Hollandse Waterlinie(新ホラント水線)へ引き継がれ、
ナールデンもその一部になります。
1815年以降、水門・堤防・要塞を組み合わせた
約85kmの巨大防衛線へ発展しました。
面白いのは、技術の転用
面白いのは、オランダ人が洪水から国を守る技術を、
逆に洪水を起こして国を守る軍事技術に転用したところです。
ナールデンではさらに一歩進んで、
水が来ないなら地面を削って、
水が来る地形を作るというところまでやっています。
すべてセカンドハンドで作られた建物
その後は、おじちゃんの友達巡りのような一日になりました。
そのおじさんは昔、
北京ダックで有名なレストランを経営していたそうです。
今はもう閉じてしまっているのですが、
その頃の知り合いを訪ねていく旅、という感じでした。
まず連れて行ってもらったのが、
これはオランダの斬新な発想だなと感じた建物です。
昔の軍の基地を、すべて中古品でリノベーションする
すべてセカンドハンドのものを活用して、
昔の軍の建物をリノベして使う、
というプロジェクトの建物がありました。
なぜそこに連れて行ってくれたかというと、
その建物の中に、
おじちゃんが昔経営していたレストランの食器や家具を使って作った、
ミーティングルームがあるからでした。
おじちゃんのレストランの名前はGolden River!
今、その家具などを使って作られている会議室はGolden River2と
呼ばれているそうです。
見た目は完全に中華レストランなのですが、
それを今は会議室として使っているらしい。
病院の部屋が、ホテルの部屋になっている
その建物の中には、本当にいろんな部屋がありました。
会議室もあれば、学校の教室みたいなものや、
シアターみたいな部屋もあるし、
普通のオフィスルームみたいなものもある。
でも全部、セカンドハンドのものでリノベされて作られている。
そのアイデアがすごいなと思いました。
廃棄物は減るし、昔の軍の基地を活用しているし。
特にホテルも作られていて、そのホテルの部屋というのは、
昔その軍の隣に建てられていた病院の部屋を改築して
使っているそうです。
そういう発想は素晴らしいなと思いました。
しかも、すごくセンスがある。
デザインがすごくおしゃれで、
とても軍の基地や病院だったとは思えないほどの作りになっていました。
この辺は、さすがセンスがいい。
日本人にこのセンスはないな、と思いました。
一日かけて、いろんな人の家を訪ねた
その後は、本当におじちゃんの昔の知り合い巡りという感じでした。
96歳のGP(ジェネラル・プラクティショナー)のお医者さん
今も仲良くしているそうです。
すごくお元気で足腰もしっかりしていて、
階段を一段飛ばしで歩いてくるような方でした。
お家に行って20分ほどおしゃべりして、
その後お部屋とガーデンツアーをさせてもらいました。
おじちゃんが昔から仲良くしている建築家のお家
ここも20分ほどおしゃべりして、コーヒーをいただきました。
昔レストランの従業員だった、香港出身の方のお家
ここでも20分ほどお話をして、
庭になっていたイチジクをもらいました。
そして最後に、ディナーのレストランへ。
そのレストランも、
おじちゃんの知り合いのオランダ人の方がプロデュースしていて、
オープン時に手伝ってあげたお店なのだそうです。
一応、Thai Asian Cuisineということになっていたのですが、
全然タイではなくて。
インドネシアなのか何なのか、
いろいろフュージョンしている感じの料理でした。
正直あまり美味しくなかったのですが、文句は言うまい。
おじちゃんはすごくお喋りな人なので、ずっと話してくれました。
お喋りな人ってすごいなと思いながら、
ずっと、はいはいと聞いていました。
英語が全然出てこない
今日いちばん感じたのは、英語に対する劣等感。
友人は英語ネイティブ、かつ何か国語も喋れて、
今日も英語とオランダ語をスイッチしながらいろんな人と喋っている。
でも私は全然喋れなくて。英語さえも、満足に喋れない。
おじちゃんが何を言っているかも時々聞き取れていないし、
話の内容もよくわかっていない。
本当に恥ずかしくて、この場から消えたいと思いました。
私は今までずっと英語をやってきたのに、このレベルか、と。
友人の前で英語を喋るのが恥ずかしくて。
普段ならもう少し自分でも喋れる気がするのですが、
多分心理的な問題もあって、いつもより全然喋れなくて。
自分が間違ったことを言っているんじゃないか、
発音が変なんじゃないか。
心の底から、劣等感を感じた一日でした。
内向的な私の心理的疲労
それから、
友人もおじちゃんもエクストロバート(外向型)なのですが、
私はイントロバート(内向型)です。
外向的な人と一日中いるとこれだけ疲れるんだな、ということも
実感しました。
この日、いちばん思ったこと
今日は本当に、いい一日でもあり、
同時にしんどい一日でもありました。
ナールデンの発想には感動したし、
セカンドハンドの建物のセンスにも唸ったし、
96歳のお医者さんにも建築家にも会わせてもらった。
普通の旅行では絶対に経験できない一日です。
でも同時に、自分の英語の力不足と、
人といることによる消耗を、これでもかと突きつけられた。
明日は少し、自分のペースを取り戻したいと思います。
